とあるメンタリストの徒然日記

カウンセラー、メンタリストとして活動しているsatoshiと申します。日頃使えるメンタリズムや出来事などを発信していきます。

教育。ここがおかしいよね~メンタリストが考察してみた~

こんばんわ。メンタリストのsatoshiです。

最近はブログが趣味になりつつあり、楽しくアップしています。いいことです。

 

今回は教育についてお話します。

 

小学校は明治数年に出来た学校も多く存在し、その当時の教育方針をこの平成になっても行っているところもあります。良いか悪いかはさておき、、、

 

例えば英語。小学校でも2020年に必修科目にしようと動いてるようですが、大丈夫?と思ってしまうのです。

 

この動きの目的は「グローバル社会で活躍できるような人材の育成が目的」と政府は言っているようですが、本当にその動きで実現できるでしょうか。僕はかなり厳しいと思います。

 

その理由は、小学校低学年からの教育なので、恐らく歌に合わせて英語を勉強する。とかそのくらいだと思うのですが、これどうなんでしょう。

 

確かに歌に合わせて英語をやれば覚えやすくなるでしょう。でもみんなと声を合わせて歌う。けっこうハードル高くないですか?

しかも必修科目なのでそれをやらなければいけない。

勉強方法なんて人それぞれ。書いて覚える人もいれば、洋楽などを和訳して英語を好きになる人もいる。

 

勉強の肝は興味からだと思うのです。

 

みんなと同じことをやって、今の流行や時代をキャッチし、自分から動ける人材に育つでしょうか?

 

別に英語の勉強をやるな!と言っているわけではなく、小学校って色んなものに興味を持ち、そして学んでいくときです。

英語よりやるべきことがあると思います。普通に考えて。

 

個人的には討論とかあっていいんじゃないかなーと思ってます。まあ小学校なので討論なんていう堅苦しいものではなく、例えばなんかのDVDを見せて、どう感じたかを発表するみたいな?

 

答えはありませんから子供は自分の感じたまま発表しそれを聞いた子供はその意見に賛成したり、逆に反対意見を述べたり、、、そっちのが英語の歌を歌わせるより大事なのでは?と感じます。

 

みんなと同じが正義!という教育方針がかなり大きいと思います。

そんな風に育ってきて、いざ就職して挫折し、みんなと同じように働けない、、、と悩み、再スタートが遅れたり、、、

 

完全に個性潰してますよね?それで苦労するのは子供たちです。

そもそもグローバルな人材って結構思考とか飛びぬけてるじゃないですか。みんな同じが正義!という教育でグローバルな人材増えますかね?

 

そう考えると学校ってなんのためにあるの?と思ってしまいます。堀江貴文さんが「学校無くしたいんだよね」と何かでおっしゃってましたが、少し考えがわかったような気がします。

 

学校が必要ならば、是非本当に大切なものを学ぶ場所にしてほしいです。

 

こころの休憩所 代表 satoshi